2006年09月27日

どんなことがあっても大丈夫!

相変わらず大枠では調子のいいふりすぴです。
けれどさすがに凹むことはあります。客観的に見るならかなりへこんでいてもおかしくない状況だったり。
でもあんまり深刻化しないのが自分でも不思議な感じです。

さすがに今日はかなり凹んだので、チェリーエッセンスを飲んでみました。最近こういった感じでスポット的にエッセンスを使います。
そうすると無理してがんばろうとすることがなくなるし、また同じ傷を恐れたりしなくてすむんですね。
風邪薬のコマーシャルで
「風邪には早めの○○!」みたいなコピーがありますねがそれと同じ感じがします。
自分の中心から逸れないように、いつも自分をチェックする癖がついたようです。

先日はホリーを飲んだ上に、頭から振り掛けました(爆)
必ずしもジャストではなかったのですが、良い感じに効いてくれました。
そうすると嫌な気持ちを長く引きずることがないんですね。

どんなことがあってもエッセンスがあるから大丈夫。
なんだかそんなことが自分の自信になってきた感じがします。
posted by 花のしずく  at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセンス日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月24日

シロバナヒガンバナ(白花曼珠沙華)

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ふりすぴの庭にも秋がやってきました。1週間ほど前になにやらひょろひょろと生えてきて、なにかしらと思っていたら、墓地の前で同じものを見かけて彼岸花と知りました。
いきなり咲く朱に毒々しさを感じたり、不吉な花と嫌われる方もいらっしゃるようですが、なぜだか私は強くひきつけられます。どことなくオーストラリアブッシュのマウンテンデビルや、スタートデザートピーなどを思い出させる雰囲気。彼岸花というより、曼珠沙華と呼ぶほうが私は好きです。
草むしりのとき、よく分からなくて棄てていた球根は曼珠沙華だったのですね。
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さて、2、3日前に咲き始めてびっくり。白い曼珠沙華なんて初めて見ました。百日紅も白ですし、前の住人は面白いことをなさる方だったのですね。わざわざ普通は赤い花の植物の白い種類を選ぶなんて、通っぽいかんじです。でも見た感じ寂しい雰囲気がするのは否めません。
花言葉は 【悲しい思い出】。えーーん

 ところで、こちらのHPでこんな記載が
お隣の韓国には、ヒガンバナに「想思華(サンシチョ)」という別名があるそうです。「想い思う花」すなわち「ヒガンバナというのは葉不見花不見(ハミズハナミズ)、即ちヒガンバナの花と葉は同時に存在することはない。しかし、花は葉を想い、葉は花を思っている」という意味のようです。何とロマンチックというか素晴らしい名前だと感心させられます。

まぁ素敵♪
でもこれもまた少し切ないですね。

写真の曼珠沙華の上に見えるのが百日紅です。

posted by 花のしずく  at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月22日

布ナプキン

main.jpg
使っている人は皆絶賛している布ナプキン。
一度使ってみたいと思いながらなかなか試すことが出来ません。
気持ちいいだろうなぁ…自然だろうなぁ…と思いながらいつもそのまま。

今日「フェリシモ」からお知らせが来て申し込んでみようかと思いました。
だって可愛いじゃないですか。

心配だった匂いも気にならないらしいです。
「フェリシモ」のサイト http://www.felissimo.co.jp/f/nunonapu_camp/  にある布ナプキンの構造を見て、これならモレないと納得できました。あなたもいかがですか?
posted by 花のしずく  at 20:13| Comment(0) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月20日

父親との関係3

さて、憂鬱な気分と早速おさらばです。レッドヘルメットオーキッドの助けも借りていますし自分を愛するコツがだんだんのみ込めて来ているのかしら。

父との一件はここに書いたあと、自分の知る限りの父の歴史を振り返り、何故父がそういう子供のような行動をとるに至ったかを考えたら、もうどうでもよくなってしまいました。レッドヘルメットオーキッド効いていますね。

父の歴史も父と周囲の関係も本質的には私に関係ないので書きません。後は私の状況の変化で父が変わるのは目に見えているので。

今日の夜は一緒に楽しく夕食。鶏の竜田揚げを母が少し揚げすぎたので、そんなことを笑いながらいつになく楽しく一緒に過ごしました。父の作った昨日の夜の残りのチャーハンも頂いて
「やっぱり作り立てじゃないと美味しくないよ」と言いながら、父はまんざらでもない様子でした。

最近の私は焦らないように自戒しながら、今この場で出来ることをゆっくり淡々と進めています。やらなくちゃいけないことはいろいろあるけれど、何事も少しずつ回りの様子を見ながら。

ふふっ、だいぶ余裕が出てきたでしょう。

こちらのブログも始めて一年が過ぎました。記事数も500を越えています。そろそろブログタイトルからフラワーエッセンスを外して少しずつ記事の整理を始めようかと思っています。
posted by 花のしずく  at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセンス日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月19日

父との関係2

昨日、レッドヘルメットオーキッドを飲んで3日目。
やっぱり調子がいいから好転反応なんて出ないのね、と安心していた矢先、ふと立ち寄った実家で父の小言が始まりました。

まずきっかけは私が玄関で靴を揃えなかった事。すぐに帰るからといい加減にしたところ、怒鳴られました。この年になっても父の中で私は子供。気をつけますと謝って一階の茶の間から二階にいる妹に声をかけたところ、またそれが気に入らない。
「聞こえるわけないだろっ」
ずっと抱えていた幸せな気持ちがしぼんでいきます。

そうやって些細なことでいちいち怒鳴られると、因縁をつけられているのと一緒。それ以上巻き込まれなくなかったので早々に退散して来ました。

すると悪いと思ったのか今度は
チャーハンを作ったから食べに来いというのです。しかも自分ではなく母に電話をかけさせます。不愉快な思いから抜けられなかったので自分の家で食事をしたいと伝えると、再度電話がかかってきて今度は届けるというのです。もう他の準備をしてしまったと伝えて電話を切ると、再度また実家から電話がかかってきます。もうその電話には出ませんでした。

それが父なりの謝り方なのは理解できるのですが、あんなことがあった後で、「美味しいね」なんて喜んで食べられるはずもありません。そうやって喜ばないとまた父の機嫌を損ねるんでしょう。
父が私に望むこと以外のことをすると父の機嫌を損ねます。そこに「私」はいません。

「謝ってやったのに、喜ばないとは何事だ!」
もちろんこんなことは言いませんが、父の思考回路は多分そうなんでしょう。
日本語としてとても間違っていると思います。
とうとう気付いてしまったこと2
とうとう気付いてしまったこと3

で、怒りの余りドアを壊したり、泣き続けたりしてだいぶ解消されたと思ったのに、ここに来てまた同じ問題が持ち上げるとは。
私が自分自身でいて、なおかつ、父と上手くやっていくにはいったいどうしたらいいのか

レッド・ヘルメット・オーキッドが助けてくれるのを待ちます。
posted by 花のしずく  at 12:34| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセンス日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月18日

ダーク・ハーフ 〜二つ名の罠とブログ人格

〜暴力小説を書くためのペンネームを葬ったとたん、ペンネームが実体化して、再び小説を書かせるべく襲い掛かってくる〜

スティーブン・キングの作品は読もうかどうかいつも考えてしまいます。
彼が主に取りあげているテーマは「恐怖」。
詳細で剰舌なディティールが時に私には刺激的すぎ、それでも続きを読まずにはいられない話の面白さがたまに苦痛に感じられるので。

ブログで自分に与えるHN。
幾つも、それこそ雨後のタケノコのようにブログを書いている私は、ふたつなどころか一体いくつの存在を抱えているのでしょう。
そのどれもが自分自身、普段表現出来ない自分自身だったりします。

人は多面的で重層的な存在です。
自分の内面を深く抉りだすことは、匿名性の高いネットの世界だから出来ることで、実際の生活ではなかなか無いことなんですね。
日常のあれこれを書いているだけならそうでもないのでしょうが、ブログとして面白く成立させようと思ったら、HNは次第に独立した存在になってきます。それは私だけのことでは無いようです。
多かれ少なかれ誰しもある程度のブログ人格というのは、もっているのではないでしょうか。
時にそれに振りまわされ、乖離に悩んだり、またある程度続けていると表現できない部分が苦しくなって、また別のブログが誕生したり。私はずっとそんなことの繰返しです。

暴力的なブログを書いてはいませんので身の危険はありませんでしたが、かなり似通った状況に陥った経験から、今回この本は途中で読み進むことができなくなってしまうほどリアリティがあり怖かったです。自分の中でくっきりと分かたれていた世界がいつの間にか入り混じり、混沌としていく。自分自身の輪郭線があやふやになり、自分を見失ってしまったり、混乱したり。だからこそエッセンスと出会ったわけですが。

もしかしたらそのブログ人格の中にこそあなたの真実が隠されているのかもしれません。認められないかもしれませんが、現実のあなたに統合されるといいですね。エッセンスはその手助けになると思います。

映画化もされているようです。ゾンビもので有名なロメロ監督。エイミー・マディガンは可愛くて好きな女優さんだけど、そのグロさを想像するに多分見ることはないと思いますが。


スティーヴン キング, Stephen King, 村松 潔

ダーク・ハーフ



ポニーキャニオン

ダーク・ハーフ

posted by 花のしずく  at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月15日

父親との関係

ようやく新しいエッセンスに取り組んでみようという気になりました.変化の多かった夏が過ぎ,今後の予定がほぼ見えてきました.
とても調子がいいので新たな課題に取りくんでみようと思いました.レッドヘルメットオーキッドです.このエッエンスは父親との問題を抱えている人にいいそうです.実家の近くに越してきて,小さな問題はあるものの,予想以上に父とは上手くいっています.
と,いうより私が難しい父の取りあつかいに慣れたということですが.以前より変くつ,我がまま,子供とさして変らないように思えます.私はトラブルなくやっていければもうそれでいいので,それ以上コミットしたいと思えません.今現在の父は多分にビーチがネガティブに出ていると感じます.

私は長女ですから,小さい頃は父に溺愛されて育ったようです.父は必要以上に厳しかったと思います.何しろ小学校に入る前の子どもに,小笠原流の食事の仕方を押しつけて居たのですから.肘でも突こうものなら手が飛んできます.食事の時間はいつも憂欝でした.それ以外はだいたい優しかったとおもいますが,基本的な父の考えは[子どもは動物と同じ,言うことをきかせるために叩いて体に覚えさせる]というものだったと思います.これは昔の考えかたでは当然の事だったようです.
父は極端な人で,遊ぶことを一切しませんでした.私が3歳の頃独立して仕事をするようになって,不安だったのだと思います.日曜日は遠方の教会まで家族で行くのが通例でしたけれど,私たちはほぼ放っておかれました.父が私たちと遊んでくれたのは,父が入院していた時ぐらいだったのではないかと記憶しています.
それでもやはり私は父が大好きでした.小学生の頃には父は仕事と教会の雑務に携わっていて,顔をあわせるのは朝食の時ぐらいでした.私は学校の成績もそこそこでしたが,絵を描くと必ず入選しましたので,それは褒められました.いくら好きでも父は構ってくれません.いつか父に認められるために絵を描いていたように思います.
父との関係は私の人生に暗い陰を落としましたし,それを理解できたのは,最近のことです.
posted by 花のしずく  at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセンス日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月12日

怒るべきときに怒ること

 [智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。]夏目漱石,草枕の冒頭です.
「女子供文化評論家」の荷宮和子さん若者はなぜ怒らなくなったのか―団塊と団塊ジュニアの溝
を読んで,今まで莫然と感じて来たことに,明確な回答を得た気がしました.
自分の生育歴から自身がマイノリティであることは十分自覚していて,それでも自分はこう思う,こう感じる,こうしたいと主張することはとても角が立つのも知っているのです.時にそれで自分が傷つく事もしばしば.日本というもともと[和をもって尊し]とする社会で「自分」であることの如何に生きづらいことでしょう.
 そんな反抗期の若ものじみた自分に嫌気も差すし,だからといって自分がそうではないと思うことには,どうしても簡単に従えないのです.
 心のなかで何かが違うと感じたまま,周囲の輪のなかに存在するくらいなら,一人で居たほうがよっぽどマシ.
 ティーンエイジャーのブログを読みますと,周囲の中で心の底から溶けあえない自分に苦しんで,それでも仲間はずれにされたくないがために表面上合わせている,何か自分を偽っている感じにずっと悩んでいるのがいるのがよく分かります.そのなかで曖昧になっていく自分を確認したいがためにリストカットに走ったりしているように感じるのです.適当な所で折りあえない潔癖さは十代ならではのものですが,学校という一つの社会の中にいるしかない彼らの閉塞感に深く同情を覚えます.

若者はなぜ怒らなくなったのか―団塊と団塊ジュニアの溝は世代論です.団塊の世代と,団塊ジュニアに挟まれた私たちの世代は,世の中で違和感を覚える事がしばしばです.「赤信号みんな渡れば怖くない」と言ったのは団塊の世代のビートたけしでした.私も赤信号を渡ることに躊躇はありませんが,それは自己責任.周りを見渡して自分で安全を確認して渡るものと思っています.

 団塊の世代が自然に持ち合わせた「そうだ!そうだ!」体質は,とにかく数が多いですからそれが通ってしまうのです.彼らが子育てをした結果,「世の中の大勢に合わせていれば何とかなる」つまりは自分の頭で考えることの出来ない若者が社会の中枢を担いつつあります.彼らは常識を疑うことをしませんから,その中で「決まっちゃったことはしょうがない」「みんながそうするからそうしよう」と簡単に受け入れてしまえるのです.私なぞは始終怒ってばかりいて,怖いと言われてしまいますけれど.

 荷宮さんによると私たちは「くびれの世代」と呼ぶのだそうで,丁度社会に出たときに,相手にびっくりした顔で「女の人は初めてです」と言われ続けてきた世代です.前例を破りつつ生き抜いてきた世代からすると,何にも考えない「怒るべきときに怒れない」世代はまるっきりバカに見えます.そうして彼らが社会の中枢を担うようになってきた現在,将来の日本に対して非常な不安を覚えます.大勢の人達の「気分」「情」「表面上の和」で社会が動いていくような気がするからです.ここで書いた「バカ」というのは知的能力とは全く関係ありません.考えて行動するのか,そうではなく周囲に「反応」しているだけなのか.

 人間が「考える葦」であるなら,考えない人間は「ただの葦」です.端から受け入れてもらうことは諦めているマイノリティであるからこそ,愛を込めてバカにははっきりバカと言ってしまって構わないのではないかと.強者から言われれば苛めですが,せめてバカと呼ばれた人が少しでも考えてくれればと思うのです.

「花のしずく」的にはちょっと過激な記事ですが
posted by 花のしずく  at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月07日

マサイの恋人〜ルケティンガの話



コリンヌ ホフマン, Corinne Hofmann, 平・ 卿子

マサイの恋人


この衝撃的な手記を読んで私は本当に驚いたのだが、ふとルケティンガは彼女のことをどう思っていたのだろうと思った。コリンヌは確かに自分の真実を貫いた。しかしルケティンガはどうだったのだろう。この本はコリンヌの視点で描かれている。しかしもう一方の村人公は文字を読むことも書くことも出来ない。コリンヌの文化も知らない、そういうマサイの若者がどのように彼女を捉えていたのだろうか。

たまたまフェリーで一緒になった白人女性が親切に牢獄から自分を救い出してくれた。その後何回か逢いに来てそのまま居座ってしまったのである。マサイでは何人かの妻を持つことは普通のことだ。彼女は彼を・遜まで引き回し、その度に・人から嘲られる。しかし彼女は車を手に入れ、店を持った。それはすなわち自分の財産でもあり彼の自尊心を満足させたに違いない。必要になると彼女の母親から(実は彼女のものなのだが)お金が送られてくる。

彼がコリンヌをどの程度愛していたのかは、私には全く分からない。コリンヌの文章からは全く見当も付かないのだ。男性と女性ではそもそも人生における「恋愛の重さ」が決定的に違うと思う。コリンヌは恋に全てを投げ打つことは出来ても、男性でそこまで出来る人はいないと思う。
コリンヌにとっては唯一の恋人であっても、ルケティンガにしてみれば何人かめとることの出来る妻の中の第一番目でしかなかったのではないだろうか。マサイ族の文化で「恋」というものがそもそもどれぐらいの重みを持つのだろう。人間だから恋はするだろう。マサイ族がそうかは知らないが、親の決めた相手と揃婚するのが当然の村会では「恋」の価・はほとんど無きに等しい。恋愛観の相違をコリンヌはどこまで気が付いていたのだろうか。
彼にとってはマサイ族の中での自分の立場のほうがよっ造ど重要であり、周属の誰も持っていない車や店を買うことが出来るコリンヌを失いたくない。コリンヌが辟易した気違いじみた嫉妬も、純粋な愛情と言うよりは、飼っている羊を失いたくないのと同じように、財産や立場を失いたくないように私には読めてしまうのだ。

その文脈で読むと、この物語はルケティンガにとってコリンヌは全てをもたらし、全てを奪っていった存在。

あとがきでルケティンガはマサイの女性と揃婚し、子供をもうけたらしい。コリンヌも再婚して、けれど今も引き続き彼を援助しているという。

ただ私は双方の思いの食い違いを思うと少し切なくなるのだ


マサイの恋人〜コリンヌの話

posted by 花のしずく  at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月05日

マサイの恋人〜コリンヌの話



コリンヌ ホフマン, Corinne Hofmann, 平野 卿子

マサイの恋人


まるでSFのようだと思った。恋人と一緒に遊びに来た27歳のスイスの女性がマサイ族の戦士に一目惚れし、国も仕事も何もかも全てを棄ててケニアのブッシュで暮らすのだ。言葉も通じない、まるっきり文化も違う。その4年間の彼女の軌跡を書いている。

以前何かの書評で目にし、一度読んでみたいと思っていた。あり得ない。決して私は人種差別をしたり、何かの文化を軽く見たりすることはないのだが、だからといってマサイ族の人と恋愛に陥るかといえばどう考えてもあり得ない。確かに写真で見る戦士ルケティンガは非常に美しいと思う。だからといって主人公コリンヌのように半裸で暮らす人と恋愛は出来ないと思う。

恋愛に落ちるときに相手と自分の違いに惹かれ、自分と相手の共通点に親しみを覚える。これが車輪の両輪のように恋愛を深めていく。普段から国際恋愛や国際結婚をする人たちのエネルギーって凄いなと思っている。ある意味分かり合える部分が少ないから言葉による多少の行き違いではめげないのだろう。国が違えば感覚が違う。多少のことは目をつぶることが出来るし、美しい誤解のまま一生を添い遂げることだって可能かもしれない。けれど私自身は今まで外国の人にそういう気持ちを持つことが出来なかった。

想像してみて欲しい。いくら好きだからといって、テントより粗末で小さな小屋で、全く違う食習慣をもち、自分の夫と一緒に食事をすることも出来ない文化に飛び込んでいくのだ。言葉が通じないだけではない。キスの習慣もないためルケティンガは不快な顔をする。双方が片言に近い英語でコミュニケーションをとる。相手は足し算も出来ない。何度もマラリアで命を落としかけながら、出生証明のようなものもなく、正確な年も分からない相手と、正式に結婚するための手続きを取る。その乗り越えるハードルの高さを想像するだけで私などは卒倒してしまいそうになった。

その激しい愛の終わりは彼女がマサイの文化に馴染めなかったなどと言うことではなかった。ルケティンガの嫉妬である。ろくに入浴も出来ない文化や、栄養失調のことで彼女は不平を述べていない。ただルケティンガに信頼されなかったこと、この一点である。ルケティンガは周囲から白人の女は誰とでも寝ると言う風に常に吹き込まれていた。半ばノイローゼ状態のルケティンガに常に監視されるようになって、彼女は逃げ出したのだ。恋愛の寿命は4年であるという話を聞いたことがある。ひとりの相手に対して恋愛ホルモンの出る期間だ。もしかしたらそれが切れたためかもしれないとも思う。

マサイの恋人のことしか考えられない。ルケティンガの気持ちすら分からないのになんと無謀で愚かな恋だろうと思う。けれど多分それが彼女の真実だったのだろう。この真摯さに率直に胸を打たれる。そうして巻末のインタビューで彼女は言い切るのだ「後悔したことはない」と。
posted by 花のしずく  at 00:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月04日

リサイクルストレス

マンション暮らしから郊外のアパートに移ったのですが、ゴミの出し方が今ひとつ慣れません。今までは 燃えるゴミ 燃えないゴミ、壜・缶
だったのですが、こちらに移ってきて
燃やせるゴミ、燃やせないゴミ、紙・衣類、ビン・缶、資源プラスチック、有害ゴミという区分になりました。

マンションにはゴミ置き場があって、一応は回収の日に出すことになっていたのですが、そこはそこ。みんな割と好きなときに出していました。
牛乳パック、食品トレイは別ですが、牛乳はビンでしたし、食品トレイに入ったものは殆ど買わなかったので特別分別しませんでした。
今回はそういうクッションがないので収集日の朝に出さなくてはなりません。

一応頭の中には入れたのですが、今までの習慣上ゴミが出たときに3種類にしか区分しないので、ゴミを出すときにまた分別。
きちんとやってみると燃えるゴミの中にずいぶん紙ゴミが入っていたのだと思い知らされました。
結局燃やせるゴミは
生ゴミ、ティッシュ、ぼろ布、生理用品等のみということに。
問題は燃やせないゴミで、うちから出るゴミの圧倒的量は資源プラスチックということになりました。
これが週に一度の回収。木曜日は絶対に忘れてはいけません。
しかしラップ類、磁気を含むプラスチック、おもちゃ類は燃やせないゴミなんだそうで、正直言って
「こんなのちゃんとやっている人いるのぉ?」と疑問です。
現にゴミ置き場にいってみると、燃やせないゴミの中に資源プラスチックを含んだゴミが、一つや二つではない量。

要するに慣れの問題なのでしょうが、私にしてみれば
燃やせるゴミ、燃やせないゴミ、牛乳パック、食品トレイ、紙・衣類、ビン・缶、資源プラスチック、有害ゴミ
3種類の分別が8種類の分別にいきなり増えてしまったわけです。

正直言ってストレス…ToT

だってゴミはもうゴミなのだから出来ればその瞬間に目の前から無くなって欲しいものなわけです。それが1週間も存在する苦痛。
牛乳パックも洗って乾かすまでは出来るのですが、開いて持って行くまでに手こずっています。持って行かなければ目の前にずっとあって、そういう資源と呼ばれるゴミを置いてあることが鬱陶しい。

みんなそういうのってストレスにならないのかなと「リサイクルストレス」という言葉で検索を掛けてみると殆どない。
やっぱり言っちゃいけないことなんだ。薄々そうじゃないかと思っていたのですが、誰も文句を言わないんですね。

以前使っていた某生協は徹底的にリサイクルを進めている所で、牛乳瓶の蓋まで回収していました。
ところが次に配達に使うレジ袋まで
「シール部分を取り除いて、汚れた部分は洗って乾かして切り開いて回収」
ということになって、私は著しく憤りました。そんなことやっているほど暇じゃないよ。

でも、根がまじめなロックウォーターの私は
「何でこんなことまでしなきゃいけないのよっ!」
と、怒りながらも言われたとおりまじめにやっていたんですね。病気
だってリサイクルは良い事だから。やらないと罪悪感を感じるから。
私の中ではリサイクルしないことが悪いことに変換されてしまっていたのです。
地球のために少しでも良いことをしたいのは当然ですが、
良いことをしない=悪というわけじゃないんですね。
出来ないことをしろって言われて無理遣りやるからストレスになるんです。
地球のためにいくら良くても、自分のストレスになるようじゃ誰もやらないんですよね。
とりあえずは習慣の問題なので牛乳パックとトレイは乾いたらいつも買い物に持っていく袋に入れておくことにして。

ドイツなどのリサイクル先進国でも分別の種類が20種類近くになっていて、そのストレスが問題になっているという話を以前聞きました。回収の工夫もずいぶんされているのですが、真面目な国民性だからやっていけているのでしょう。
 リサイクルを進めることは良いことだと思いますが、ホンの一手間も積み重なると凄い手間。ゴミ収集のシステムを改善していただいて、せめてゴミ置き場にはいつでも棄てられるように、カラスなどに荒らされないようなボックス状のものを常設してもらえると、もう少しリサイクルも進むのになと思います。

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posted by 花のしずく  at 11:02| Comment(4) | TrackBack(0) | エッセンス日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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