2010年01月17日

フラワーエッセンス花のしずく

前の記事から2年経過してしまいました。

花のしずくを読みやすくHPに編集しなおしましましたので、ごらんいただければと思います。






posted by 花のしずく  at 23:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月30日

はなのしずくへ ようこそ

長い間放置していたにも拘らず、たくさんの方においでいただきありがとうございます。

新しい年を迎えるに当たって、心機一転この「花のしずく」をHPに変えることにしました。その準備のために今までの記事を一時削除してあります。

このブログを書いていた頃の私は、自らの道を模索している最中で、プラクティショナーとエッセンスに助けられ進んでいく過程を綴っていました。
今後作るHPで、同じように悩みを抱えている方々の参考のために記事を移行させようと思っています。

URLが決まりましたらまたこちらにリンクを貼ります。


ではよいお年をお迎えください。
posted by 花のしずく  at 18:43| Comment(17) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月27日

目を逸らしたい自分

いろんな出会い、いろんな別れがあって、それぞれの方に様々な感情があります。一つ一つの感情を味わいつくして行くことが、人生なのかなと思うこの頃のふりすぴです。
ポジティブな喜びや愛はもっともっと感じたいし、苦い感情は出来れば味わいたくない。
でも感情って自然と湧いてくるもので、怒りや悲しみを味わうことから逃げると、それが傷として残ってしまい、何度でも同じような経験を呼び寄せてしまうような気がします。
日々安らかに愛と感謝を感じて生きていけたらと思いますけれど、やはり綺麗ごとだけでは生きていけないんですね。

目を逸らしたい自分であっても、それは「自分」なんですね。
そんな自分もいるのだと認めつつ、自分がどうありたいかを模索していくのかなぁと思っています。
光も影もあるように、両方あるのが人なんだなぁ。


明日は皆既月食。天体の光と影の織りなすショーが見られますよ。


Beautiful world Utada Hikaru

posted by 花のしずく  at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月30日

平泳ぎ

ううん…今日はだるい。久しぶりのプールでちょっと筋肉痛です。昨日は300mで時間切れ。人が多くてなかなか継続して泳げませんでした。水泳って普段使わない筋肉を使うから妙なところが痛くなりますね。あと、鍛えにくいインナーマッスルとか。これは内臓を支える筋肉です。ビリーズブートも良いんですけどね(笑)

私はBMIで言うと20台でこれ以上痩せると、免疫力が落ちてきちゃう。もう少し見た目スリムにするなら後は筋肉をつけたいなと思うし、水泳をすると肩こりから開放されました。
いつもクロールで泳ぐのですが、平泳ぎとかも取り入れたらもっと総合的に鍛えられるかなぁ。平泳ぎは大胸筋を使うからバストアップも図れるのではないかと密かに期待。随分前にちゃんとトレーニングしていた時期は、それなりだったのですものToT
デコルテの部分の筋肉が落ちると肋骨が透けて見えちゃったりしてそれはちょっと悲しい。
平泳ぎは苦手です。手の動きと、脚の動きがどういうタイミングで動かしたらいいか、もうわからなくなっちゃっているから。
それじゃと言うんで世界水泳の北島の動きを見たんだけど、早すぎて判らないToT
結局水泳動画でちゃんと勉強しました。うん、来週からは少しずつ平泳ぎも取り混ぜて泳いでみようっと
posted by 花のしずく  at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月29日

将棋と囲碁で人生を考える

先日40歳年上のボーイ?フレンドと一緒にお昼を食べた時のことです。偶然にもこの方の昔の部下が私の父の友人という関係でもあって。碁がお好きで、ちょうど囲碁の本を小脇に抱えていらっしゃいました。
「私は父に教わって将棋は指すのですが、碁はルールぐらいしか知らなくて」
「ふりすぴさん、将棋は玉の取り合いでしょ、相手の駒を取ったり取られたり
ちょっと激しくて僕にはねぇ…合わんのです。
碁は、あくまでも白は白、黒は黒。陣取り合戦で最後の最後まで分からないときもある。そこが良いねぇ。
どの石も同じ価値だけど、置く場所によって意味が違ってくる。何気なく置いた石が、後になって効いてきたり、ここという石が死んでしまったり。
これはねぇ、サラリーマンの人生そのものですよ。いや、人の人生そのものって感じかなぁ」
そんな考え方をしたことはなかったので、とても面白く思いました。

確かに振り返ってみると将棋は激しいですね。意図的に駒の交換をしたり、終盤自分の玉を守りながら、相手の玉をどう詰ませるか、そのために必要な駒や手を考えるのが、ぞくぞくします。そう言えば玉が敵陣に突っ込んでいったこともあったなぁ。父にはそんな将棋初めて見たと言われてしまいましたが(爆)
囲碁に半目差の勝敗があるように、将棋にだって一手差の勝敗もあるのですからね。
将棋の駒はそれぞれに違う動きをします。それもまたチームワークでもあるし、それぞれの人の個性ともいえます。自由自在に動く飛車角。一マスずつしか進めない歩で相手が詰むこともあります。
人の個性を将棋の駒に喩えて考えてみるのも面白いですね。
私は香車かなぁ。真っ直ぐ切り込んでいって、行った先で金に成ってモタモタ動いてみたり(笑)あっけなく相手に取られてしまったりね。
posted by 花のしずく  at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月23日

あぁ、至福!

ro`.jpgあぁ、至福!
favorite SPA 行って来ました。ここはバリ式のオイルマッサージをやってくれるお店です。8種類の異なる香りのオイルから好みに合ったものをチョイスしてたっぷりマッサージしてもらいます。
どのオイルも素敵な香りでしたが、私の選んだオイルは精神的にリラックスできると言うもの。
ぽかぽかと全身が温まり素敵な内装とあいまって至福の1時間を過ごせました。

私も以前チョコッとオイルマッサージを勉強したこともあるのですが、いかんせん自分で自分をマッサージすることは出来なくてまるで宝の持ち腐れ。
そのうちもえにでも日頃の感謝を込めてさせていただきたく思っています。

なんだかいろいろなことが一気に起こってきて心の整理がつかないでいて、でもまたそれも一過性のもの。
様々な状況に混乱しても自分のセンターはしっかりしています。
何せ年頭に立てた自分の目標をあらかたクリアしてしまったのですもの。それが、悲しみをもたらすものであっても。
これを抜けたら、また一皮向けた自分に出会えるのだとワクワクしているくらいなんです。

中途半端に残っているヴィルトローゼンホーンビームを飲み終わったら次は何を飲むのかしら。
ひたすら感じている疲労感のあとは、またストロベリーで更に癒すのか、イシスで悲しみに焦点を当てるのか…そんな感じで豊饒の海を漂っています。
posted by 花のしずく  at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月01日

幻の青いバラ

e-green_1955_21161582.jpg
今日、正確には昨日ですが、こんなコバルトブルーの大きなバラの花束を抱えた男性とすれ違いました。
余りに大きいので抱えるというより肩に担ぐようにしているのでとても目立ちますし、こんなに鮮やかなブルーですから周りの人は皆振り返って見ていました。
御本人も周囲の注目を浴びて少し照れながら、それでも誇らしげに歩いていかれて、私はあの花束を貰う女性が少し羨ましくなりました。

最近ではずいぶんと青っぽいものが出てきているようですが、写真のものは人工的に着色をしたものです。こちらを見ると英語では 「Blue Rose」 は「有り得ない、不可能な」の代名詞として使われているんですって。

「素敵ねぇ」とつぶやくと、たまたま隣り合わせたおば様も
「羨ましいわねぇ」とおっしゃって、二人で顔を見合わせて笑いました。考えることは誰も同じなんですね。
posted by 花のしずく  at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

時ならず玉をぞ貫ける卯の花の

sizen57a.jpg蒼き空、目に染みて
綿毛のごとき雲浮び
此方へ彼方へ
其の雲何処より来たり
何処に向かいしか
誰ぞ知る
其の行方
其の行方

時ならず玉貫く卯の花の元
微かに湿りし
青き芝生に寝転びて
雲眺め遊ばさん
我が心

何処に向かいしか
我知らず
久しく在るべみ
皐月を待たば
久しく在るべみ



時ならず玉をぞ貫ける卯の花の五月を待たば久しくあるべみ  万葉集
posted by 花のしずく  at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月28日

Country road


19歳のころ、進路の問題で両親と衝突して家を出ました。あの頃の事は、その直後でさえ思い出せなかったほど混乱しています。
今考えるとかなりめちゃくちゃだったのでしょう。日吉の川沿いにアパートを借り、働きながら学校に通っていました。
アルバイトを掛け持ちして帰ると4畳半のアパートにはテレビすらなくて、ただその日を何とかやり過ごしていました。風邪を引いても保険証も無く一人で寝ているような日々。心細い、その日暮らしでもどうしても家に帰りたくなかった、その頃。

喫茶店に入って流れてきた音楽に思わず涙がこぼれました。歌っていたのはジョン・デンバーだったか、オリビア・ニュートンジョンだったか。
親元を離れて、世間の厳しさ、親の庇護のありがたさを改めて知ったものの、何かおめおめと帰る事が出来ないような気がして突っ張っていた自分。親も親でしたが、娘も娘でしたね。自分自身で自分の人生を何とか切り開いていくのだという意地。電話をすれば泣き出してしまいそうで、ろくに連絡も取らずにいました。

思えばあの頃の苦闘が今の私を支えているのかもしれません。家出という強烈な抵抗が、私の両親のことも少しは柔らかくしたのかも知れませんしね。

映画「耳を澄ませば」で鈴木 麻実子さんの訳詩がうまいなぁと思ったのは、あの日渋谷の喫茶店でぽろぽろと涙をこぼしながら思っていたことと、全く同じだったからです。

あの頃の自分を振り返ると、そんなに突っ張らなくても良いのにと思いますけれど、健気でいとおしく感じますね。そうすることでしか自分で納得できなかったんですもの。
もしかしたら今も余り変わっていないのかもね。
posted by 花のしずく  at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月26日

憧れのアオザイ

img10384095757.jpg今日同僚たちとお昼を食べていたら、ヴェトナムの女の子がいらして私たちの脇をすぅっと通っていかれたのでした。

そのアオザイの美しさ!

アオザイってとても清楚なイメージなのに、凄くセクシーでもあって、スリムな人ばかりでなく、ボリュームのある人も美しく見える不思議な衣装。歩くとエレガントに身体の周りをシルクが踊ります。

みんなでうっとりと眺めました。
彼女の着ていたのは写真のようなデザインで、クリーム色のシンプルなもの。そうそう、こういうのが前々から欲しいのだけれど、いかん「せん
「着ていくところがない…」
と言ったら、職場に着て来ても良いとのお言葉…

いや、それは…いくらなんでも。

「結婚式は?」
確かに正装だし、いいかも。
「うーん、この年になると、もう結婚式なんかないんだ」
「お葬式ばっかりで嫌になっちゃうわよね」

もえの娘の結婚式までお預けでしょうか…

posted by 花のしずく  at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月17日

紀の国屋 ふらここ

070517_1953~001.jpg前々から評判は聞いていたものの機会がなくて食べられなかったの。
頂きました!

紀の国屋 ふらここ

「ひよ子」とか「ままどーる」みたいな黄身餡は好きなんですね。何というか、この粉っぽさがたまらないんですよぉ。あ、同じく三万石のエキソンパイも好きです。

しかし、この「ふらここ」は、崩れやすい黄身餡で餡を包んでいるという。口の中に入れるとふわ〜っと黄身餡が溶けて…おいしすぎてどうしよう!
あんまり美味しすぎて、これは記事にしなくては!と食べかけの写真をパチリw

毎日これだけを食べて生きていきたい!
posted by 花のしずく  at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月13日

自分自身の望む現実を手にしている

一月の下旬ある決定をしようとして寸でのところで思い留まってしまいました。それは決定的に変化を認めることでした。
自分でそれを望んでいたはずだったのに、それによって引き受けることになる責任が一瞬とても恐ろしく感じたのです。
結局それは先月の半ばまで持ち越されることになりました。今だから書けることです。
もう2年以上自分の心の動きを見つめている私は、そのときの自分の恐れを見逃しませんでした。

人はいつでも自分にとって最良の場所にいます。
自分自身の望む現実を手にしていると言うのは本当のことなのだと今では思います。
今の状態は望んでいない、私はもっとこうありたいとそれぞれに思われることでしょう。私自身も意識の表面ではそう思います。

その責任を積極的に果たそうという気持ちになり、恐れを手放したとたん現実が動き始めました。出来るところから行動を始めると、わずか5日間で全てが変わったのです。自分でも信じられませんでした。

結局のところ、自分がこうしたいという願いより、恐れのほうが強かったのです。だから一月には変化を起こすことが出来ませんでした。

現状というものに不満を抱きながら、私はいつしかそれに適応していて、誰かのせいにしてみたり、時間がないと思ってみたり、時期が来ないからと言い訳をしていたのでしょう。

考えてみれば、生き方を変える決心をして引っ越してきたこのアパートだってなんと自分の望みどおりだったことか、それ以上です。
今の仕事だって、自分の思っていた以上の条件です。お給料以外は(爆)。日々学ぶことがあるし、理解のある上司に恵まれ、少しづつやりがいのあるものに変化していっています。お給料以外は(爆)。
その間私がしたことと言えば、恐れを捨てたこと、自分を愛し、自分であり続けようとしたことです。

いま私は自分の全てに満足できているかと言えば、まだまだ満足できていません。お給料の問題もありますし(爆)自分にとって大切な方との関係も。
原因はやはり恐怖なのでしょう。父はお金に固執することは卑しいことだと私に叩き込みましたし、それはアバンダンスプログラム一度で取り切れているのかどうか…(おい!)そもそもアバンダンスで私はお金を多く得たいと望んだわけではありませんでしたし。

自分の現実を作っているのは自分です。自分を制限し、枠をはめているのは自分です。
自分に言い聞かせるようにこの記事を記します。
私が本当に望んでいるのはなんなのか、もう一度良く考えたいと思います。
posted by 花のしずく  at 01:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月12日

コミュニケーションは愛

tyou2201ic7.gif
先日「愛のコミュニケーション」という記事を書きました。今日はその方ではなくて似たような別の御夫婦のお話です。
御主人の詳しい状態は伺いませんでしたが、文字盤のようなものを使って意志を示せる方のようです。
そういう御夫婦でも喧嘩をされることがあるそうです。

文字盤を使って傍らに座った奥様が根気強く御主人の合図を待ちます。
…ば
…か
思わず笑ってしまうような光景ではありませんか。奥様は御主人を放ってどこかへ行ってしまうことも出来るわけです。指し示されて憤慨される奥様の思いもあるでしょう。
「でも、怒ってコミュニケーションを絶ってしまってはお終いですから」
この御夫婦の信頼関係、愛情の深さが伝わってくるようなエピソードではないでしょうか。

私たちは関係の深い相手に対して
「そんなことぐらい言わなくても判っていてくれる」
「言ったところで判ってもらえないのだから言わない」
「どうせこんな風に思っているんでしょう」
「負担に感じて欲しくない」
そんな風に甘えたり、諦めたりするものです。
相手に対して怒る、不満を持つ、その気持ちを伝えないとすればそれは相手に対して卑屈になっていると言うことです。
この御主人が奥様が疲れているから、負担をかけたくないからと黙って溜め込んでいくと、関係は対等でなくなり、優位に立っている相手は気がつかないままで、次第に関係が壊れていくような気がするのです。


人間ですから疲れている時もあります。気力の湧かないときもあります。
それでも自分の想いを相手に理解できるよう伝える。伝えられた相手は真摯に受け止める。

些細な行き違いを根気強く埋めていく努力、常にメンテナンスをしない関係はどんどん壊れていきます。
一人ぼっちで幸せを感じられる人がいるでしょうか。人は究極的には人との関係性の中でしか幸せを見出せないものと思います。
posted by 花のしずく  at 13:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生きていきたい

070512_1033~002.jpg
休みのたびに雑草を引き抜いたり
伸びすぎた枝を刈り込んでみたりするけれど
とても間に合わない

新緑の季節
花の季節

雑草と呼ばれる植物にだって
きちんと名前があって
それぞれに花を咲かせて
生命を輝かせようとしている
それと格闘しながら
何かもやもやとしている自分の想い

自分の生命を輝かせたいと思うこと
自分は生き切っていないと思うこと
恋に恋している
それはこんなにも生きたいと思うこと
輝かせたいと思うこと


こんなにも強く生きたいと願っている
私生きていきたい


写真はカタバミの花

posted by 花のしずく  at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月10日

魔法の鏡〜トラウマの寓話

昔々美しい少女がいました。愛らしく素直だったので周りの人にとても可愛がられておりました。余りに周りの人に可愛がられるのである日母親は心配になりました。

「このまま成長していって、高慢になると心配だわ」
母親の妹はたいそう美しかったので、周りの人にちやほやされ、母親を馬鹿にしたような態度をとることが多かったのです。

母親は魔法使いのところへ出かけていき、一枚の魔法の鏡を貰ってきました。それは歪んだ鏡でした。それに顔を映すと、顔が歪んで見えるのです。母親は娘に鏡を手渡しました。
「お前もそろそろ年頃になるから鏡を上げよう」

娘はたいそう喜びました。鏡などというものは昔は高価なもので、持っている人は少なかったのです。
娘は早速鏡に顔を映してみました。

右の目の大きさと左の目の大きさが違い、右の口元は妙に持ち上がって見えます。娘はたいそうショックを受けました。
周りの少女たちに比べて自分はなんと醜い顔なのでしょう。
娘は小さく見える右目を大きく見開いてみました。左右の目の大きさは何とか揃ったように見えました。唇の右側を下げてみました。それで何とか顔の左右が釣り合う感じがします。

少女は今まで自分の顔のことなど気にしたことはなかったのに、それ以来ちゃんと顔を上げることが出来なくなりました。自分は醜いと思い込んでしまったからです。

周りの人が、可愛いわねと声をかけても、醜い自分に同情しているのだと思って人を避けるようになりました。きれいねと言われると、からかわれているような気になって、泣き出してしまいます。顔を上げるときは右目を見開き、右の口元を下げるように気をつけました。

そんな顔を見せられた人は少女が怒っているのだと勘違いをしてしまいます。そそくさと立ち去ってしまうのでますます少女は自分が醜く、嫌われているのだと思うようになりました。
毎日俯いて人と顔をあわせることもなく、少女は閉じこもりがちになりました。鏡は見たくなかったので母親に返してしまいました。

満月の夜、少女は家の近くの湖に出かけました。蒸し暑い夜を水辺を渡る風で涼もうと思ったのです。
湖のほとりの岩に座りふと少女が水面を覗き込むと、美しい少女が映っていました。少女にはそれが満月の夜の魔法のように思えたのです。
少女は満月のたびに湖へでかけては水面に顔を映していました。満月の夜だけでも自分が綺麗なのだと思えることは少女にとって慰めになりました。

相変わらず俯きがちでしたが、人と顔をあわせるときに顔を歪めることはなくなりました。そうすると顔をあわせる人は驚かなくなります。少女は無理に顔を歪めているのは大変なのでそのままの顔でいるようになりました。けれどもまだまだ引っ込み思案でした。

そんなある日少女は隣村の若者と知り合いました。この若者は少女のことが好きになったのです。
「でも私は醜いから…」そういう少女に若者は鏡を見せました。
少女が鏡を見ると鏡に映った自分の顔は美しく見えました。満月の夜水面に映る自分の顔と同じです。
「これは魔法の鏡じゃないの?」
若者と少女は顔を寄せ合って鏡を覗き込みました。鏡に映った若者の顔は少女が見る若者の顔と同じように見えます。
「君は初めから綺麗だよ、なぜ自分を醜いと思い込んでいるんだい」
posted by 花のしずく  at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月06日

情況の囚人

スター・オブ・ベツレヘムでトラウマにチャレンジして一昼夜。
自分にとって厳しいエッセンスになると予測していましたが果たしてその通り。
早くも出てきた好転反応で昨日の夕方から泣きっぱなしでした。

昔傷ついた事柄がトラウマになって自分のコンプレックスを形成しているのですからまずそれを解消しなくてはね。
飲まなくちゃと、思いながらまだ厳しいだろうと言い訳をして先送りにしていたのですが、調子のいい現在、取り組んでみるようにとの「庭のお告げ」を素直に聞くことにしました。
やっぱり少し怖かったんですね。
トラウマについてはきっとまだまだこれからでしょうし、まとめはその後することにします。

昨夜どうしようもなかったので、気を紛らわせようと思って観たのが
Gyaoでやっていた es[エス] 。
1971年にスタンフォード大学で行われた心理実験を題材に取っています。
看守役と囚人役に分けられ生活するように命じられた被験者たち、ある種の拘束状況の中で支配力を持つ側と、支配される側に分かれるとそれぞれの性格とは関係なく役割を演ずるようになり、次第にそのような状態に陥っていくさまが、非常にリアルに描かれています。
「ごっこ遊びなんだから」と言いながら、どんどん役割そのものになりきっていくのです。
実験をしている心理学者までもがその中に取り込まれていくさまが見事です。
私も気を紛らわせるために観始めたはずが夢中に。これを映画館で見たら、もっと取り込まれてしまったでしょうね。

そして私はこれを特別なことだとは思いません。たとえば学校などである「いじめ」、家庭内での「虐待」もそのひとつでしょう。このような閉塞状況を避けるのもひとつの方法だし、必要以上に役割にのめり込まないで常に自分はどうありたいかと問い続けるのもひとつでしょう。

もしかしたらあなたや私のトラウマもこのような状況の囚人に端を発しているのかもしれません。

tyou2201ic7.gif
情況の囚人 ― 1971年”スタンフォード監獄実験”とは
Gyao  es[エス] (ご覧になる場合は覚悟を)
posted by 花のしずく  at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月05日

エッセンスの働き

今夜はそんなつもりはなかったのになぜかもえの家からの更新です。
オーラのクレンジングをしてもらいました。
昨日書いたことの続きを書いてみましょう。今日はエッセンスの働きについて。

バラが咲いていたのに気がついたのは私がたまたまメガネをかけていたからです。そうでなければ季節外れの椿が咲いたのねとよく見ることもしなかったでしょう。
スターオブベツレヘムに気がついたのも私がたまたま庭に寝そべったか
ら。アマナはもう終わってしまいましたけれど、また咲いたのねと片付けたらそのままだったでしょう。

気がつかなければ私の庭にバラも、スターオブベツレヘムも存在しないことになりますね。実際に存在していても、私が発見しなければ存在しないのと同じです。

エッセンスは自分にかけている性質を付け加えてくれるものではありません。その人の中に元々持っているものをポジティブに表出させてくれるものです。

誰の中にも強さや愛、繊細さや柔らかさ、勇気や明るさを持っているものだと思うのです。それを発見してみてください。
エッセンスが助けになりますよ。
posted by 花のしずく  at 02:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月20日

あれもやりたい、これもやりたいと思うばかり

070420_2206~001.jpg吉祥寺のユザワヤで2時間も過ごしてしまいました。もうここは私の遊園地(爆)
売り場をウロウロしながらあれもやりたいこれもやりたい…ってする時間も無いのに。

だいたい3年前に陶芸に挑戦するはずだったのに、何でかブログ三昧になっちゃって現在に至っています…
レザークラフト、大量のビーズ、手紡ぎ手織り。デコパージュ用の綺麗な紙。ステンドグラスもずっとやってみたかったんだよなぁ。久しぶりに七宝焼きもやってみたい…

ため息をつきながら手芸売り場から降りてくると、「大人の塗り絵」があって大好きなミュッシャの絵が何点も。ステッドラーの色鉛筆、どこへやっちゃったかなぁ。
その下では浴衣地の素敵な柄にうっっとり。今度こそ縫ってみようかなぁ。
なんて考えながら結局はお手軽にべネツィアンガラスの片穴ビーズでピアスを作ってみました。素敵でしょ。

あぁ、まとまった時間が欲しいなぁ。
posted by 花のしずく  at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月03日

愛のコミュニケーション

先日とても素敵な話を聞きました。
病気や事故で体の動かせない人がいますね。少しでも体が動かせればこの部分を使ってコミュニケーションを取ることが出来ます。まぶたが動かせれば一度の瞬きでハイ、パチパチっと2回でいいえなどという話を以前聞いたことがあります。今ではいろいろな機械がより豊かな表現を助けることが出来るようになっているようです。

では全く動かせない人はどうでしょう。
ハイとイイエをなんと脳波から計測して音声で答えることが出来るとか。殆どテレパシーみたいな話ですが、実際に使われています。今日はそんなお話です。

その装置を使用するために、患者さんの脳波に合わせて調整が必要なのです。原理はわかりませんけれど、そういうものなのでしょう。
調整を確認するためにスタッフがその方の奥さんに
「何か質問してください」と頼んだそうです。すると奥さんは
「私のこと愛してる?」と御主人に向かって聞いたそうです。
「イイエ」と装置から音声が出てきました。
奥さんは下を向いてしまいました。周りにいた病院のスタッフも凍り付いてしまったそうです。
そのスタッフはもう一度奥さんに言いました。
「ハイと返事するように伝えてください」
奥さんはそのように御主人に言いました。装置からは
「イイエ」
スタッフは笑いながら
「やっぱり調整がうまくいっていないようですね」といって、後日の調整になりました。

人間にとって自分の意志を伝えられないというのはとても苦痛を伴うことだと思います。
奥様もきっと心を込めてお世話しているのでしょう。
だって御主人の気持ちを確かめたくて待ちきれない思いが、この喜悲劇のもともとの原因ですものね。
御主人も力いっぱい「ハイ、愛してます」と伝えたつもりだったのでしょうに、よりによってイイエと伝わってしまって大そうショックだったと思います。

これは特別な人達の話でしょうか。私は違うと思います。
たとえば私の父。愛情表現が未熟なために、
「お前のことを大事に大切に思っているんだ、心配なんだ」という気持ちが
「いったい何やっているんだ!」と怒鳴る。という表現になってしまいます。昔の男性ですから、照れや、自分の沽券を守らなければならないということがあるのでしょう。
私だってそのことは充分に判っていて、でも人間ですから怒鳴りつけれれれば、面白いはずもありません。でもね、ちゃんとわかっているんです。判っているからもう父とバトルになることはなくなりました。えぇ、ずいぶん楽しく話しています。たまに怒鳴られたら面白くはありませんが、それだけ強い愛情なのだと理解するようにしています。コミュニケーションは愛です。関わりたいという気持ちが愛だと思います。

そして私は前出の御夫婦は調整のうまくいった装置で、きっと毎日
「私のこと愛してる?」
「ハイ」
と確認しあっているような気がするのです。
posted by 花のしずく  at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月31日

花吹雪

070331_1157~001.jpg三鷹での用事がことのほか早く終わったので、桜のこの季節、ふらりと禅林寺に寄ってみました。ここは森鴎外こと森林太郎と太宰治のお墓があることで有名です。お寺の前は何度も通ったことがあるのですが、立ち寄ったのは初めてでした。

大きなソメイヨシノの枝がはす向かいに建つ二人の文学者の墓に差し掛かり、それは見事に咲いていました。
森鴎外こと森林太郎とわざわざ明記したのは鴎外の遺言に肩書きなどを廃して葬って欲しい旨書いてあるからです。墓とは別の石碑に彫ってある遺言を読んで、鴎外らしい死への考え方だと思いました。

太宰は中学生頃読みましたでしょうか。改めて読んでいないのは、なんだかその破滅的な人生の影が、きっと必要以上に私の心を揺らすに違いないと感じていたからです。
070331_1203~001.jpg太宰がここに葬られたのは鴎外と同じ墓所に… と憧れを書いた夫の意を汲んだからだと読んで、情死した夫に対しての奥様の愛の深さを感じました。

墓所の桜はどこも枝振りが良く、そしてその場にたいそう似つかわしく思えるのです。毎年満開に咲いて、吹雪のように散る花が、まるで下に眠る人々の人生のようで。
ここ何年か、この季節はいつも感傷的になってしまいます。
posted by 花のしずく  at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。